何もしなかったけど・・・咲いた2019年07月09日 07時58分40秒

今年は植替え時期が丁度忙しくて、土の入替もせず、肥料も入れずそのまま放置したらなんと蓮が2輪も咲いた。


蕾が出て

少しずづ色付き



大きくなり







花が咲く





朝開き、夕方に閉じを繰り返し数日で散っていく。

なんか得した気分、その代わり睡蓮があまり咲かず。


20年たったヨーロッパ旅行2019年07月25日 21時35分00秒

結婚20年を迎えたのを理由にANAのウィーン直行便就航のツアーに参加。

関空から羽田へ移動し、深夜の羽田から朝のウィーンへ


一庶民の私達はビジネスクラスなんて手が届かないし、まだ体力があるのでその分を他で使いたい。


でも熟睡はできないぞ!

その分映画はたくさん見られるぞ!



20年ぶりのヨーロッパ旅行「チェスキークルムロフ」」2019年07月26日 06時00分00秒

朝早く到着して私たちを待つ観光バスへ、おっきなバスに乗客はたった3組の夫婦と2人の女性、5組一人一列状態でもまだ席が余る。
申し込みは既に満杯だったがどんな基準で満杯にしているのだろう。

中欧の朝は大阪と違って空気が冷たかった。

ウィーン空港から初日はチェコのチェスキークロムロフへ、日本なら差し詰め小京都とか言うのだろう、関西なら出石あたりか。

道中道路標識を見ていると、「お!プラハ、リンツ、」モーツアルトじゃないか」と標識見るだけで感動してしまう。

途中SAもしくは道の駅に停まってコーヒータイム、600円ぐらいのコーヒーでカップはお土産に持って帰ってよい。

コーヒータイムの風景、中欧感満載の風景

チェスキークロムロフ旧市街入口

美しい風景が広がる

城内入ったばかりの場所

わざわざイタリアから職人を呼び寄せて立体に見えるように絵を壁に描いたそうだ。
実際に立体に作るより高かったとか






床屋橋 橋の袂に床屋があったので16世紀頃から床屋橋と言われていた床屋橋から床屋があった場所を撮影。

市庁舎前 スヴォルノスティ広場


石畳が続く路地

共産圏であったため、教会は完全に観光地、たまに真剣に祈っている人を見かける程度。



本日の昼食の場所、ブッフェスタイル

窓の外の風景、暑いのは暑いが、窓を開けて耐えられる程度、熱風の吹く大阪よりは遥かに涼しい。

旧市街を取り巻く川に階段で降りて行ったら、現地の子供(小学校高学年~中学校)に「こんにちわ」と声をかけられたので「こんにちわ」と関西のイントネーションで返しておいた。






ここから今夜の宿NHプラハホテルへ移動。

晩御飯はこんな感じ、昼の量は自分で調整したが、夜はできないポーションがでかい。






たっぷりの晩御飯を食べた後は明日のフリータイムの後、ホテルに帰ってくるための地下鉄を確認し、近所にあったスーパーを覘いてぷらぷら。

8時でもあまり暗くないので夜の感じがしない。

20年ぶりのヨーロッパ「プラハ」をぷらぷら2019年07月27日 09時18分16秒

朝食は平凡なブッフェスタイルだったが、ランチョンマットにランチョンマットを紙飛行機にする折り方が書いてあった。
「何のサービス?」そして紙飛行機を折っている人は誰もいなかった。

本日の観光のメイン「プラハ城」へ、本日が一番歩くツアーとのこと、現地のガイドさん曰く「プラハは日本でいうところのヨーロッパの京都」だそうです。
そして「パスポートは何よりも気をつけてください、私は旅行でパスポートを盗まれ、帰国が2か月遅れ、30万円かかりました」との怖いお話。
首にぶら下げているパスポートを握りなおした。

プラハ城の北門前、観光用衛兵が立っていたが、台湾で見たのとは立っている姿の緊張感が違った。
が、一応記念撮影はしておいた。

横の通路

通路を抜けると壮大な広場

聖ヴィート大聖堂

中は人種のるつぼ、すごい人人人

ステンドグラスが美しい、なんかありがたいことでも書いてあるのかと思ったら、保険会社のコマーシャルや商工会議所的なもののコマーシャルであったりがかいてあるらしい。
ミュシャのステンドグラスもあります。









純銀製 王妃がこの人に何か告白したことを王様が聞き出そうとしたが言わなかったので処刑されて聖人にあがめられるようになったそうです???




右側が黒いのは大理石は磨かないと黒くなるものらしい、黒くならない大理石は偽物か?



悪魔の彫刻、日本では鬼瓦と言う。

室内の馬術練習場の隣にあった肖像画、多すぎて誰か記憶なし。



黄金小道
ルドルフ2世はここに錬金術師を住まわせて不老不死の秘薬を研究させていたとも言われています。
錬金術に凝って、錬金術師を住まわすための場所をつくった。

その後住居になったあとに「フランツ カフカ」が住んだ、歴史を感じる

時間がないので黄金小道を横切った後の風景





お手洗い休憩の時に撮った路面電車



それからなお歩いて

ヴルタヴァ川

カレル橋で記念写真を撮るのも人が多すぎて大変、ガイドさん曰く「日本人のように遠慮していたら、一生記念写真なんて撮れない」そこで大阪人のバイタリティーを生かし撮影ポイントで人を押しのけ数枚の記念撮影。

カレル橋を渡り切った側から対岸の撮影



渡り切ったあとの市街を歩くも、梅田の地下街を歩いているような混雑ぶり。

プラハ旧市街広場

有名なからくり時計



からくりを見た後ボヘミアングラスの店に案内されたが、途中で割れても困るのでやめた。

ウ・モドレー・カフニチキ 2
鴨料理で有名、今日の昼は鴨料理。
そして食事は朝ごはん以外は全てビールを飲む、痛風がなんだ、ヨーロッバ最高!

ここで現地のガイドさんにここからホテルに帰るのは、路面電車・タクシー・地下鉄のどれが良いかと質問したら「路面電車はややこしい、タクシーはぼったくられる可能性があるので地下鉄がおすすめ」とのことでした。







2時から自由時間、ツアーで一緒になった方々と天井のガイドさんで地下鉄のチケットをあらかじめ買い、駅の確認その後ミュシャ美術館へ。

そんなに点数もあるわけではないが、本家本元で見ることが大事。
ちなみに受付の年配の女性は、お客様がどんなに並んでも、並ばなくても慌てず騒がずのんびりとチケット受付。

美術館で皆さんと別れ、プラハ旧市街をお散歩

通りで偶然見つけたショッピングモールに入ったり、モーツアルトのオペラ「ドンジョバンニ」初演の場所で記念撮影したり。

屋台を覘いたり
街でスナップ写真や記念写真を大量にとった

しかし朝からずっと歩いているので疲れてきて、しかも昼ごはんも遅く量が多いため店に入る気にもならず、個人で申し込んだ街のパブを巡るツアーの待ち合わせ場所に1時間も早くついて銅像の下で座っていた。
隣に赤ちゃんをあやしているおばあさんがいたので、赤ちゃんを一緒にあやした。

そうこうしているうちに時間になり、「オレンジ色の傘が目印」との案内だったので、オレンジ色の傘を開いた女性に声をかけたら違うとのこと。

時間が近づくとどんどんオレンジ色の傘の花が咲く、嫁はんと顔を見合わせ笑ってしまった。

仕方がないので橋から順番に声をかけていった、以下英語「このツアーの案内はあなたですか?」「違います」その次も同じ、端から3番目の金髪の綺麗なおねいさんが案内人だった。

ガイドさん「7時までもうすこし時間があるので待ってください」
私「わかりました」
そして7時、ガイドさん「じゃー行きましょう」
私「ツアーは私たちだけですか?」
ガイドさん「そうです」

大阪弁で嫁はんに「ふたりだけやったら、ちょっとぐらいはよ始めてええと思わへん?」嫁はん「ほんまやな、国民性の違いかな?」

英語の案内を受けながら
私「ガイドさん私の英語は少ししかわかりませんがよろしくお願いします。そして嫁はんはアルコール全く飲めませんのでビール以外でよろしく」
ガイドさん「別の飲み物もあるので大丈夫です。このツアーは3件パブを回るツアーですが、お腹いっぱいになったら途中でやめていいですよ。」
嫁はんに大阪弁で通訳

一件目 プラハといえども暑く汗だく、ビールがうまい、中で再び絵が飾ってあって、昼に聞いた王女の告白を言わなかった云々の解説を聞く、そして記念撮影。

2軒目ビールと晩御飯 ビーフシチュー クネドリーキ添え
テレビでサッカー中継がされていた
ガイドさん「サッカーはすきですか?」
私「興味はなく、ツールドフランスなどの自転車レースが好きです、ガイドさんはサッカーが好きなんですか?」
ガイドさん「私はサッカーには興味はありません」
私は心の中で「おいおい、それでは日本語でも話は続かんぞ」とつぶやいた。

これを食べたら、昼もたっぷり食べたのでもうお腹いっぱい、次の一軒にいくのが億劫になったので。
私大阪弁で嫁はんに「もうお腹いっぱいなったんとちゃう?」て聞いたら「もう食べるもんええわ」とのこと。
私英語で「もう十分に満足したからもう一杯ここでビール飲んで帰ります」と2件目で解散した。

途中店に立ち寄り土産物を見ながら駅までの散歩。
自分たちへの土産にTシャツを買った。

駅のエスカレーターが日本感覚だと恐ろしく速い、飛び乗って、降りたらつんのめる。



ホテル近くの駅に到着


20年ぶりのヨーロッパ「オーストリア ウィーン」2019年07月28日 09時11分56秒

プラハのホテルの近くにモーツアルトが住んでいた家があったので、出発前に写真に収める。




バスで移動して途中でトイレ休憩、昔は国境の町として栄えたであろう場所に趣味の悪い遊園地。

バスでプラハからウィーンに午前中は移動。

着いたらシェーンブルン宮殿前Residence Cafe and Restaurantで昼食

なんだか飾り方も洗練されている。


久しぶりの生野菜

ウインナーシュニッツェル
これをの下にじゃがいもが敷き詰めてあって大半の人は残していたが、全部食べてやったぜ。

ザッハトルテ、これがウインナーシュニッツェルを食べた後は重い

中の写真は撮れないので全て外観、中のものは豪華絢爛、華やかかりしころの宮廷文化を見ることができた。
ハプスブルグ家かヨーロッパのほとんどを押さえていたとは、受験は世界史だったのに全然知らなかった。

広大な庭





シェーンブルン宮殿金属の模型とシェーンブルン宮殿

ウィーンの市役所 アテナ 現在修復中

シュテファン大聖堂

教会内

シュテファン大聖堂裏

カール ベーム石板

クレメンス クラウス

リヒャルト・シュトラウス

グスタフ マーラー

ウィーン国立歌劇場の側には歴史上の人物だと思っている、クラッシック音楽を変えてきた人たちのサインインり石板が普通にある!

意味はわからんが、現地のガイドさんによればLGBT仕様の信号機らしい、多様性の時代だ。
この後免税の土産物店(店員さんは日本人)に行き、ついレッドブルホンダのポロシャツを買ってしまった、私の車はホンダなのだ、見てないけどF1頑張れ。

今夜のウィーンの宿

もちろんビール

カプレーゼ

スズキの何とかじゃがいも添え

なんかフルーツ缶詰みたいなデザート

今日も一日量が多い食事だった、井の頭五郎なみに食べる毎日。